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私の本牧

 投稿者:たかはし さちこメール  投稿日:2007年10月22日(月)12時04分45秒
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  21日60’~70’大変楽しく懐かしく走馬燈のように青春時代まっただ中の自分を感じていました。私は1945年から20年ほど本牧で暮らしていました。
特別展示の本牧の写真展にありました、市電本牧一丁目と小港の中間に住んでいました。終戦の年に小学校に入学(本牧小学校)その後アメリカンスクールに接収され大鳥小学校に転校中学、高校一環教育の山手の女子校へ入りました。当時の私の家から三渓園に泳ぎにゆく時は(まだ綺麗な海でした。)必ずフェンスの前を通り広い芝生に素敵なママと遊んでいる金髪の子供たちを見てアメリカってすごい国なんだとカルチャーショックを受けました。私の家は米兵相手の娼館のまっただ中にあり、毎日地方からの出稼ぎの女の子たちが「病気」の検査のために病院に行くのをまるでよその国の人たちのように眺めていました。本牧一丁目から「イタリアンガーデン」「ゴールデンカップ」小港には「リキシャマン」とありました。その一角だけは日本とは思えない環境でした。当時の事を思い出すとあの熱気は不思議なものでした。私がジャズやブルースが好きなのはきっと子供心にあちらこちらから流れてくる音楽の影響かも。いずれにしても、「フェンスの外の青春」は私そのものの「青春」でした。
 
 
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