北羽歴史研究会・掲示板
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はじめまして
投稿者:
小野信継
投稿日:2002年 1月26日(土)17時35分49秒
能代出身の小野といいます。よろしくお願いいたします。
戦国時代のことですが、ご存知の方がいらしたらご教授
願います。織田信長さんの次男:信雄が烏山(栃木県)から
出羽の国に封じられましたが、いつ烏山を出発したか、
いつ出羽の秋田実季のところに着いたのか、いつ秋田を
はなれ帰参したのか、を記録されている資料をご存知の方は
いらっしゃいませんか?年、月(できれば日)を把握
したいと思っております。
おしえていただければ幸いです。大変に学術的なホーム
ページに幼稚な質問で恐縮ですがよろしくお願い
いたします。
(追伸)
当研究会の副会長様のお名前と私の名前が似ているのを
発見しまして、親近感を覚えました。
発表会テーマ
投稿者:
北羽歴研
投稿日:2001年12月31日(月)20時18分8秒
北羽歴研第36回研究発表会
平成14年2月3日午後、
テーマ2、は
「幕府の大名取り潰し。福島正則国替えと津軽藩・秋田藩」
発表者は、鷲谷豊。
ーーーー
以上、最新情報(秋季年度末)の6項に追加しておきます。
宮野尹賢の出自を探る
投稿者:
鷲谷豊
投稿日:2001年12月11日(火)20時59分46秒
今回の宮野尹賢についての、千葉克一氏の発表は、従来の諸書に記述されている誤解について重要な指摘となっている。尹賢は江戸時代の当地方では先覚的な学者として著名であり、その著書多数が、鷹巣町綴子の内館文庫(県文化財)に残されている。
今回の千葉氏の提起により、鹿角市大湯の斎藤長八氏から、大湯宮野家の先祖由緒書が手元にあるとの申し出をお受けした。来る次回の研究発表会では、斎藤氏よりこの古文書「宮野
家由緒書」の発表をいただく予定である。ご期待ください。
宮野尹賢について
投稿者:
千葉克一
投稿日:2001年12月11日(火)20時29分25秒
1、宮野家の墓碑ー扇田・正覚寺に4基、綴子・宝勝寺に8基(内2基は剥落してよめず)ある。従来この刻字の読みが完全になされていなかったが、昨年、完全に読み取ることができた。
2、「権大僧都源専居士」という戒名を刻んだ碑が(宝勝寺にも正覚寺にも)あるが、かなり以前から、これを尹賢の戒名であり墓碑であると思い込んでいたようである。『鷹巣町史』『秋田人名大事典』には、そのように明記されているが、大きな誤植である。この戒名の故人は、尹賢の曾祖父ぐらいにあたる年代の方である。(その後のしらべて曾祖父でもないことが判明した)
3.尹賢の戒名は「徳誉善教居士」で、これは彼の生前に天徳寺住職玄鏡大和尚から賜ったものであり、正覚寺の過去帳にも宝勝寺の過去帳にある「宝暦8年3月29日・宮野伊兵衛」。ただし、彼の墓石はどちらにもない。どうしたことだろうか。
4.正覚寺に町指定文化財にもなっている尹賢が正徳4年(1714)寄進の『涅槃像』がある。裏書から父7回忌、母13回忌供養のためと分かる。彼の自筆もある。同じく『観経曼荼羅』もあるが、これは尹賢の祖母妙法が、正徳3年(1713)に夫の7回忌供養に寄進したものであることが裏書から分かる。
5、宮野家の出自は不明である。言い伝えとして、扇田へ来る前は大湯にいた。鉱石の輸送や回船業で財を成したと言われている。
以上、
(北羽歴研第35回研究発表会での要旨より)
転封と遷封
投稿者:
東台澄人
投稿日:2001年12月 9日(日)23時08分12秒
佐竹転封などのように「転封」が一般的ではあるが、家臣らの由緒書などをみると、国替えについては、ほとんど「遷封」という字句を書いている。その「遷」も「千」と「シンニュウ」の異体字を書いている。転封と遷封と同義語ではあるが、古くは遷封が一般的であったとも思われるが、これについてご見解いただければ幸いです。W
秋田歴研協会誌第18号発行
投稿者:
秋田歴研協
投稿日:2001年12月 9日(日)22時43分4秒
内容。大会報告。講演「横手盆地の陶器窯跡とその出土品」利部修。研究発表「日本近代史における石井露月」工藤一弦。「唱え言と和歌の民俗性」斎藤寿胤。歴史論考「7世紀初頭、倭の都は宇和島にあった」寿松木毅。ほか歴史情報、新会長田口勝一郎挨拶,会務報告など。
発行平成13年12月1日。
事務局、秋田市下北手桜守沢46−1、秋田経済法科大学法学部稲研究室,稲雄次。
佐竹転封の読み方について
投稿者:
畑沢 貴美子
投稿日:2001年12月 7日(金)21時42分21秒
鷲谷さん、先日は急な電話での質問にお答えくださいましてありがとうございました。メールアドレスが変わったそうですね。世界一周して私のところへ戻って来てしまいました。でも新しいのが分かりました。このHPはおきにいりに入っていますので来ることができました。友人から転封の読み方を教えて欲しいと聴かれ「てんぽう」と読むと思いましたが鷲谷さんにお尋ねしました。ありがとうございました。これからも素朴な質問にお答えください。
佐竹転封の読み方について
投稿者:
畑沢 貴美子
投稿日:2001年12月 7日(金)21時40分31秒
鷲谷さん、先日は急な電話での質問にお答えくださいましてありがとうございました。メールアドレスが変わったそうですね。世界一周して私のところへ戻って来てしまいました。でも新しいのが分かりました。このHPはおきにいりに入っていますので来ることができました。友人から転封の読み方を教えて欲しいと聴かれ「てんぽう」と読むと思いましたが鷲谷さんにお尋ねしました。ありがとうございました。これからも素朴な質問にお答えください。
佐竹入部400年を考える
投稿者:
秋田歴研協
投稿日:2001年11月29日(木)22時53分26秒
先の掲示板の原稿で、年度を誤記していました。
平成13年は、平成14年と訂正させて頂きます。
(鷲谷)
佐竹入部400年を考える
投稿者:
秋田歴研協
投稿日:2001年11月29日(木)11時26分32秒
秋田歴研協では、去る11月に常任並びに理事会を開催し、来る平成13年の第8回大会について協議した結果、「佐竹入部400年を考える」シンポジュウムを開催する計画を決めた。例年の大会内容は年次総会のほか、公開講演、研究発表が恒例となっているが、次回大会は、公開講演が歴史部門でもあることで、近世史を主題とする「400年」の内容になった。
藩政下の政治と経済と民衆。久保田城下、産業の展開などが副テーマとして考えられている。基調講演は講師1名(秋田大学から要請)。シンポパネラー(数名)には、考古・民俗部門からも入ってもらう、などの予定である。
この「400年シンポ」は、公開として広く秋田県内に参加を呼びかけることし、また開催資金についても、広く要請していく事としている。
開催予定日は、平成13年9月7日(または8日)午前から午後。会場は秋田市文化会館を予定している。ーーーー以上。文責、副会長鷲谷。
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