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全42件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  |  《前のページ |  次のページ》 

古代十和田湖・小坂町でシンポ

 投稿者:hokuurekikenn  投稿日:2002年 7月15日(月)11時03分3秒
  十和田湖が語る「古代北奥の謎」シンポジュウム
とき、平成14年8月10日13.30〜16.30
     同 8月11日9.00〜14.30
ところ、秋田県小坂町・小坂町交流センター・セパーム
開催趣旨、
シラス洪水による埋没家屋の発見など、近年のめざましい発掘調査により、考古学と歴史学が次第にクロスオーバーしつつあり、これまで謎とされてきた北奥の歴史にも新しい光がなげかけられている。
この機運をとらえて、第一線で活躍されている講師陣を迎え、北奥の平安時代400年の歴史を眺望する。
プログラム
8月10日、報告1、十和田火山とシラス洪水がもたらしたもの〜秋田県柵調査事務所長高橋学氏
    報告2、古代北奥への仏教浸透について〜岩手県立博物館主席専門員大矢邦宣氏
    講演、王朝国家と武士の誕生〜東大教授義江彰夫氏 
8月11日、
  講演、元慶の乱と鹿角・津軽〜弘前大助教授鐘江宏之氏
  同 、延久合戦と清原真衡〜東北大教授入間田宣夫氏
  同 、奥州藤原氏と鹿角・津軽・北方世界〜弘前大教授斎藤利夫氏
  シンポジュウム、テーマ「11世紀前後の北奥情勢と変容」
  コーデネーター、鐘江氏。パネラー、義江・入間田・斎藤・高橋・大矢の各氏。
ーーーーーーー
入場は無料・整理券を発行するので下記に申し込み。
資料代は500円。 
秋田県小坂町字中前田48−1、小坂町郷土館、十和田湖シンポ係。
tel0186−29−4726,fax29−2207
−−−−−
主催、十和田湖が語る古代北奥の謎シンポジュウム実行委員会。
(秋田県及び小坂町の文化政策補助事業)
 


佐竹氏入部400年シンポ

 投稿者:hokuurekikenn  投稿日:2002年 7月15日(月)10時08分18秒
  歴史シンポジュム
「佐竹氏入部400年を考える」
とき、平成14年9月7日(土)午前10時より午後4時
所、秋田市、千秋会館(018-882-7766)
主催、秋田県歴史研究者・研究団体協議会
後援、秋田県、秋田市教育委員会、秋田魁新報社
内容
主催者挨拶(趣旨説明)田口勝一郎会長
基調報告 渡辺英夫 (秋田大学助教授)
パネラー 塩谷順耳 (秋田市史編纂中世部会長)   
 同   柴田次雄 (秋田市史編纂専門部会委員)
 同   脇野 博 (秋田工専助教授)
 同   茶谷十六 (民俗芸術研究所長)
 同   佐久間好雄 (元茨城工業高校校長)
 司会  杉沢文治 (秋田姓氏家系研究会長)
 構成  稲 雄次 (秋田歴研協事務局長)
ーーーーーーーーーーーーー
一般入場は無料。
ーーー
問合せ先、事務局(秋田経法大、稲研究室)
     018−836−1272
 
 
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秋田県公文書館問題

 投稿者:hokuurekikenn  投稿日:2002年 7月15日(月)09時43分1秒
  『秋田県公文書館問題を考える」シンポジュウム
平成14年7月14日、13,00から16.30、
場所、秋田市、千秋会館
シンポジュウム実行委員会、構成、秋田県歴史研究者研究団体協議会、
秋田県歴史教育者協議会、秋田大学史学会、秋田近代史研究会、秋田姓氏家系研究会、能代山本地方史研究会。
主題、本年4月1日より、秋田県公文書館の従来業務のうち、県政以前の古文書にかかわる業務が、県立図書館に移され職員の移動もあり、公文書館は、県庁文書の扱いになる組織改編が行われた。
秋田県内の歴史研究者関係にとっては、突然のことでもあり、平成5年の設立以来、設立当初の理念と方針に反するものではないかとの問題である。設立当初にも秋田県公文書館の方向をめぐって歴史団体によるシンポジュウムが開催されているが。今回の組織改編は、歴史研究者、自治体史編纂者の希望とは逆の後退と解体ととられている。
ーーーーーー
このことについては
4月12日の秋田魁新聞の報道。4月23日の秋田魁夕刊、公文書館の改組を憂う(渡辺英夫)の投稿掲載がある。
ーーーーー
 
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安藤昌益のことなど

 投稿者:北羽歴研washiya  投稿日:2002年 5月15日(水)10時58分40秒
  畑沢さんの投稿に感謝して
当会の実地研修会4月25日は、安藤昌益と八戸南部藩をテーマとしたものでしたが、八戸市立図書館で、安藤昌益関係資料の展示を拝見し又関係史跡を訪ねた。
これに参加された畑沢さんが安藤昌益についての知識を広めていただいたのはありがたい。
■安藤昌益の生誕300年を来年にひかえて、「大舘市の先人を顕彰する会」では、小林多喜二生誕100年とあわせて、来年平成15年10月11日から13日の期間に、旧跡墓参ツアー・講演・シンポジュウム・資料展・講談・レセプション、など多彩な計画を立案中である。
・現在、実施のための発起人会を行政を含め市内各団体を呼びかけている。私たち北羽歴史研究会としても、当地方における「歴史的存在としての安藤昌益」として研究課題にとりあげてきましたし、安藤昌益400年のイベントの成功を期して発起人会に入っている。
■安藤昌益は、日本近世江戸時代の反封建主義の思想家として、近来世界的にも知られる。大舘市二井田に生まれ、故あって八戸に住み、後年は八戸からかえり二井田で没している。
小林多喜二もまた大舘市川口に生まれ育ち、プロレタリヤ作家として日本現代史に名をのこしている。■来年の安藤昌益・小林多喜二のイベントについて各方面のご支援をお願いしたい。
 
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実地研修

 投稿者:畑沢 貴美子  投稿日:2002年 4月30日(火)07時46分36秒
  昨日の実地研修楽しかったです。一年ぶりに皆さんとお会いできました。心が洗われ
た気分です。安藤昌益についても実地研修する事でまたみじかに感じられるようにな
りました。これから書物に触れても頭に入ってゆくと思います。ありがとうございま
した。今までたくさんの事を教えていただきました。歴史を勉強する事で現在の事に
対しても考え方を歴史を知っている事によって柔軟に考える事が出来ています。うま
くいえませんが戦争の事、地域性のことも長い歴史の中で今があると思えるのです。
生協活動をしていて、秋田が岩手や青森のように協同という事が進まないのは歴史の
中にもあると思います。岩手、宮城は早くから小さな生協がたくさん集まって一つの
生協にしていったのに秋田はそれをしてこなかった。多くの人が集まればたくさんの
意見が出てよい方向へ進むのに秋田は大館、本荘、秋田市のトップがそれを拒んだの
です。歴史的に見ても秋田は岩手青森宮城ほど飢饉など少なく協同しなくても食べて
行けたので、自分の一族で何とかしてきたのですね。安藤昌益が都会の八戸に見切り
をつけて大館へ帰ってきたのではないかと本にありましたが大館に帰ってきて八戸と
同じ活動をしたとしても岩手ほど餓えに苦しんだ事の無い大館ではきっと昌益の話に
賛同する人はいなかったのではないでしょうか。もっと長く生きていたらどうだった
のでしょうね。
これからも少しでも大館のことを知ってゆきたいと思います。
今、羽州街道のHP見ました。写真も綺麗ですし、読み安い解説です。鷲谷さんの写
真も見ましたよ。あのページから北羽歴史研究会のHPへリンクできたらいいのにと
思いました。でも、それぞれの分野で皆さんが努力しているのだなと感心しました。
私も大館から生協を無さないように自分のできることで頑張ってみようと思っていま
す。
追伸 生協で買い物してくださるように奥様にお願いしてくださいね。(笑い)

★*★*−☆*☆ー★*★ー*
いつも元気な!
キミコ ハタザワ
0186-42-5577
kimiko-h@h5.dion.ne.jp
★*★*−☆*☆ー★*★ー*

 

異説

 投稿者:小野信継  投稿日:2002年 2月19日(火)19時23分27秒
  大変に面白い本がありましたので
紹介させていただきます。
  異説:日本民族の起源(上)(中)(下)
   笹谷政子著
です。東北のことにも当然ふれております。
 

東国戦国時代の実情

 投稿者:北羽歴研 鷲谷  投稿日:2002年 2月18日(月)19時52分23秒
  東国戦国時代の様相〜秋田入部前の佐竹氏が駆け抜けた時代〜

上記表題の講演会が開催されます。
時平成14年3月24日午後1時30分〜3時30分
所、秋田市文化会館ホール小ホール
講師、大和田哲男静岡大学教授
「東国の戦国社会。それは秋田入部前の佐竹氏が駆け抜けた時代であり、
 そこで培われた経験・知識が秋田の街づくりにいかされているーーー
 戦国史研究の第1人者大和田哲男氏がその社会の実情を解き明かします。」
ーーー佐竹氏入部四百年記念・第14回郷土秋田を考える歴史講演会ーーーー
入場無料



ーーーーー
主催、秋田市教育委員会、秋田市文化団体連盟など
 
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野史呼び名辞典

 投稿者:立田浩之  投稿日:2002年 2月 7日(木)21時19分54秒
  北羽の皆さん。西日本で、昔の俘囚移配先で、別所・院内・三所から現在までの民衆史を研究中です。方法の1は地名です。地名の元になる人的呼び名を、歴史用語・方言・通称・俗称・隠語など
から35000語収録しました。引用文献は約数百。素人(私自身も)にも分るように1次資料は使っていません。地名から地域の歴史を掘り起こし、呼び名で仮説をたて、実地調査などで検証する方法を私たちの研究会はとっています。この呼び名辞典で古文書や資料のない地域の歴史を再現してみませんか。筆者、野史研究会・歴史民俗研究会所属。A5版1013ページ。自費出版で10500円。ホームページは紙芝居をいれるなど、大幅にかえました。

http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi

 

感謝です。

 投稿者:小野信継  投稿日:2002年 2月 2日(土)22時13分0秒
  ご回答ありがとうございました。一部の歴史学者の方が
信雄氏は秋田(出羽)には行っていない。。というもの
ですから、証拠の文献があれば説得できると思いまして
さがしておりました。フロイスの記述にも信雄氏は出羽に
行くことになった。とあるのですが。。。
私としては
1590年(天正18年)8月栃木県烏山に配流。
1591年(天正19年)10月上旬秀吉から出羽行きを命じられる。
            10月下旬秋田実季のもとに到着。
            11月くらいに天瀬川で生活しはじめる。
1592年(文禄元年)1月秀吉全国の諸将に九州名護屋に集合を命じる。
           1月信雄氏天瀬川を離れる。
           2月信雄氏、伊勢の朝熊常慶院に入る。
           3月26日秀吉名護屋に向けて京都を出発。
           3月(?日)信雄 堺より乗船する。
           3月(?日)信雄 伊予石手寺に入る。
           4月(?)信雄 名護屋に着陣(兵1500人)
ではないか?と思っているのですが秋田滞在の確証が弱いのです。
滞在の証拠になるものが(文献で)あればよそ様に強く説明できる
のですが。。。。
 

織田信雄の出羽配流について

 投稿者:北羽歴研 鷲谷  投稿日:2002年 2月 2日(土)19時55分27秒
  小野信継氏の織田信雄が出羽秋田にいつ来ていつ帰ったのか、という質問について、
残念ながら、在留の年代について、何かでみた気がするが、忘失してしまった。
まして月日については、知り得ない。
存じよりの方がおれば、ぜひこの掲示板で教示願いたい。
とりあえず、織田信雄の出羽秋田の配流先(現琴丘町天瀬川)ついて、下記を紹介する。
ーー
当北羽歴研ホームページのリンク紹介より→羽州街道を呼び→秋田県の街道→琴丘路→天津川→織田信雄屋敷を選択して、ごらん下さい。
「山本郡冑胤録上巻」と参考文献を記載しています。
また琴丘路の企画者名ととして床田昭治をが紹介したところがありますので、
床田氏に直接、お尋ねになってはどうでしょうか。地元として記録があるのかどうか。
秋田安東氏の文書は、東北大学にあり秋田には在りませんので、織田信雄の出羽配流について、諸書に詳しい記述を見いだせないのは残念です。
織田信雄の末流は、出羽天童藩織田氏が4男ながら嫡流をひくので、天童市にその先祖由緒が気などに、記録があるものかどうか。
ーーーーー
掲示板へのご提起をお願いいたします。


 
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